原稿サンプル

おとおこし.comの原稿は全て不要な語句をケバとして取り除く「ケバ取り」仕上げでの納品となっており、別の担当者がチェックを行うダブルチェック工程を省いております。
ダブルチェック工程があるサービスと比べ、話者の書き分けや聞きとり精度が悪くなる可能性があります。
また、複数の担当者が作業を行なうため、表記揺れが生じる場合があります。

そのため、内容把握のための資料としての利用や編集・校正を前提とした用途には向いていますが、裁判証拠用の録音反訳などの厳密な逐語起こしが要求される用途や、議事録作成などの原稿をそのまま発刊する用途でご利用の際にはご注意ください。
京都データサービスの素起こし仕上げもご検討ください。)

取り除くケバの例

・「あのー」「えー」などの無意味語
・言いよどみ・言い間違い
・意味の無い相槌
・無意味な口癖

※取り除くだけで、修正や加筆は行いません。

こんな用途に向いています

・論文執筆のための取材資料
・インタビュー取材内容の文字起こし
・講義、講演、記者などの書き起こし
・講義、セミナーのテキスト化

こんな用途には向いていません

・裁判提出用の反訳書
・会話分析などの研究用途
・議事録などの法的文書
・編集、校正を経ずに発刊する用途

書き起こし原稿サンプル


すぐに使える読みやすいケバ取り原稿

下の文章は、上記動画「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」をケバ取り仕上げで書き起こししたものです。
おとおこし.comの仕上がりをご確認ください。

ディクテ・コンストラクション Construction of dictation
編集支援ディクテ原稿・録音談話筆記原稿 構成表

制作:おとおこし.com
話し手:男性A 黒川 松永 田中 傍聴人
録音時間:10分
作成日:2013年5月25日

☆ディクテノート
・意味がわからなかった部分は〈(?)〉、聞き取れなかった部分は〈***〉で表記しております。ご確認のほど、よろしくお願いいたします。

男性A
まもなく委員会を始めますが、一つだけご注意をお願いしたいと思います。傍聴の方は毎回で恐縮ですが、ご発言はできませんので、ご静粛にお聞きいただきますようにお願いいたします。それでは委員長、よろしくお願いします。
黒川
はい。それでは、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、通称、国会事故調第十三回、委員会を開会いたします。ご案内のように今日は参考人に対する質疑をさっそく開始させていただこうと思っております。今日の参考人は、前経済産業省の事務次官、松永和夫さんに来ていただきました、ありがとうございます。パワーポイントが出ますかね。ん?出る?よく見えないね。ここにありますように、松永さんは、当時の通産省に入省以来キャリアを積んでまいられまして、2001年には経済産業省資源エネルギー庁資源燃料部長。さらに2004年からは、原子力安全保安委員長を務められました。さらにその後、大臣官房総括審議官、大臣官房長、経済産業政務局長となられ、2010年の7月以降、2011年3月11にの発災当時以降含めて、2011年の8月まで、経済産業事務次官をお勤めになられました。ほんとにご苦労さまでした。福島の事故の当時、原子力安全を所轄する原子力安全保安院、ならびに、原子力エネルギー推進を所管する、資源エネルギー庁、双方を所管していた経済産業省の事務次官でいらっしゃったわけでございます。ほんとにご苦労さまでございました。さっそくそれでは今日質問に入りたいと思いますが何か、すいません、よろしいでしょうか(笑)。
松永
ご紹介いただきました、松永でございます。
黒川
***ます。
松永
昨年、8月まで、今ご紹介いただきましたように、経済産業省で事務次官を務めておりました。昨年の福島第一原子力発電所の大変大きな、重大な事故が発生いたしまして、大変多くの方が被災をされ、避難を余儀なくされ、またこんにちでも、大変大勢の方が、大変苦しい環境の中で、暮らしを続けておられるということに対しまして、今、委員長からご紹介されましたとおり、当時、原子力、経済産業省の事務方のトップとして、大変申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。本日は、しっかりとお話をさせていただきたいと思いますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。
黒川
はい。ありがとうございます。それでは、少し、この原子炉の、ちょっとした背景でございますが、委員の田中三彦さんからちょっと2、3のご質問をお願いいたします。
田中
委員の田中と申します。よろしくお願いします。主に3.11以前の福島第一原発の基礎体力といいますか、そういうどういう原発だったかということに関係する話を、ちょっと伺いたいというふうに思います。松永参考人は、2006年の9月、安全委員会が決定しました、耐震設計審査指針、いわゆる改訂のほうですけれども、それの、新指針と俗に言われてますけども、その新指針の作成作業というものに、当時の保安院の委員長としてかかわられたと。そういう認識でよろしいでしょうか。
黒川?
結構です。
松永
はい。お答えいたします。当時、原子力安全委員会のほうで、今、ご指摘の耐震指針の改訂作業、していたということは、承知をしておりました。当時、保安院のほうからも、呼ばれればというかたちだったと思いますけれども、オブザーバーというかたちで、関係者が参画をしていたのではないかと、記憶をしております。
田中
そこで、津波というものの認識ですけれども、旧指針には、その津波に関する項目がありますか。
松永
今、私(わたくし)、承知をしておりました。はい。申し訳***。
田中
それは記載がないと思います。で、新指針のほうの一つの特徴んなっていると思います。これが、新指針の、新耐性、設計、新指針における津波に関するところで、その新指針の最後の最後の8番ってとこ、地震随伴事象に対する考慮ということでですね、ほで、こういう文言があります。で、そのカッコ2の中に、施設の併用期間中に極めてまれではあるが、発生する可能性があると想定することが、適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を、およぼ、恐れがないと、いうことを、考慮してかなきゃいけないわけです。で、これ、ここの文、これは、スライドを作る関係で4行ございますけれども、行数はどうでもいいっていったらどうでもいいですが、新耐震設計新指針の原文ではこれが、2行と二文字、三文字ぐらいということで、まあ3行ということですけれども、ほとんど2行にまとめられていると。そのぐらい小さい、扱いんなっておりますけども、これに関して何か、ご意見ございますでしょうか。
松永
当時、私が、保安院次長として、それから、委員長として在籍をしておりました3年間、今、振り返りまして、この安全委員会での耐震指針の改訂作業の中で、津波の問題についていろいろ議論されたと、そういうふうになってるということの報告を受けた記憶は、残念ながらございません。
田中
報告は受けていないということですか?
松永
私はそういう記憶はございません。
田中
ああ、そうですか。
松永
はい。
田中
このときは、世界的には、その2年前に、2004年に、バンダ・アチェの地震で、スマトラ沖の、あの大地震が起きてて、それで、平均10メートルぐらいの津波が何回かこう、押し寄せてると、いうのが2年前ぐらいにありますけどもね。
松永?
はい。
田中
そういうことに関する議論というのは、どういうふうだったか、その辺もご存知ありませんか?
松永
2004年の12月に、スマトラ沖で、大地震、大変大きな津波があったというのはもちろん記憶をしておりますけれども、その話と安全委員会のこの検討作業との間の関係といいますか、そこのところは、残念ながら当時、明確に頭の中では理解はされておりませんでした。
田中
はい。原子力安全委員会の話だと知っても、当然保安院のほうでは、強い関心を持っている問題でございますね。で、その問題に関して、保安院の中で、この問題で、これで十分なのかどうかっていう議論っていうのはしていないんですか?
松永
保安院の中でですね、
田中
ええ。
松永
されていた可能性はあると思います。ただ、私はそういう議論があったというふうには報告を受けておりませんでした。
田中
議論があったというのは院内での議論があったかどうかということですか。
松永
はい。はい。はい。
田中
は、報告受けてないと。
松永
はい。と思います。はい。
田中
なるほど。
松永
で、いわゆるちょっと補足をさせていただきますと、当時の、今から振り返りますと、委員長なりましたのが2004年の夏でございますが、2004年の8月に、関西電力の美浜3号機で大変大きな事故がございまして、5名の方が亡くなられました。で、当時、私の委員長としての仕事のかなりのウエイトは、この美浜3号機の事故への対応ということでございまして、多分その辺の対応は
松永
春過ぎまで、かなりの部分、続いていたと、いうのが、私の記憶でございます。
田中
はい。わかりました。そういうことは、2回(?)というか、わかりました。で、今度はですね、